貝原益軒「養生訓」
松尾允之   貝原益軒記念資料館へ
企画集団「朋」では、岡田武彦名誉教授のおはなしをまとめて次回からシリーズでお送りします。前回に引き続き岡田武彦先生の「養正訓」シリーズをお伝えします。

                                                                       
     
貝原益軒の「養生訓」 第三回
                   

前回に引き続き岡田武彦先生の「兀坐」の講義を続けたいと思います。

座禅の意味

「兀坐」とは、背筋を伸ばし、腰骨を立てて、目をつぶり、身体を静かに、ただじっと座っていることをいいます。昔から仏教では座禅が説かれ、儒教では静座が説かれてきましたが、私は「兀坐」を説いています。
座禅は、いわゆる超越主義的思想、すなわち仏教の考えをもとにして出て来たものであります。簡単にいいますと、仏教的な世界観、人生観から生まれいでたものです。
これに対して儒教の静座は、儒教的な人生観から出て来たものです。
ともあれ、仏教の座禅というものは、静かに座ることで心を無我無心、無念無想の境地に入れ、いわゆる悟りを開くためのものです。こういうやり方は、実は古代中国で唱えられた老荘思想の中にあります。これが中国に入った仏教に取り入れられて座禅になったのではないか、と思われます。中国で座禅が流行したのは、唐の中頃から北宋にかけての時代です。

静座の意味

さてこんどは静座です。仏教ないし老荘思想の刺激を受けた儒学者が儒教を改めて見直し日常生活の道を説く儒教の中にこそ仏教や老荘思想にも勝るとも劣らぬ深遠な思想があるという世界観を立て、座禅に対して静座ということを唱えました。
座禅も静座も、身体を静かにして座り、精神を統一する技術に他なりませんが、静座の場合は儒教的な世界観、人生観がその背景にあります。
ただ、座禅は人里離れた「お寺」という特殊な境地に行って座りますけれども、静座の場合は家庭内においても、どこでもやれるというのがその違いでしょう。
そして、静座による悟りと座禅による悟りとは、もちろん世界観、人生観が違いますから異なるものであることは言うまでもありません。すなわち、静座で悟った道は現実社会に活発に働くものでなければなりません。そうでなければ、それは理想主義を唱える儒者の立場ではなくなってしまうからです。
そういうことから私は、人から静座と座禅の違いはどこにあるのか、と聞かれた場合は静かに座って無我無心の境地を求めて悟りを開くことは一つですが、その世界観、人生観が違うので、その悟りの内容も違ってきますし、その後の行動も異なってきます、と答えることにしています。静座はいわば座禅を超克して出てきた、儒教のひとつの重要な修行法である、といっていいでしょう。

次回はいよいよ静座を超克した「兀坐」が登場します。



岡田武彦先生

九州大学名誉教授、文学博士。
明治41年 兵庫県姫路市に生れ。昭和9年九州帝国大学 法文学部支那哲学科卒業。
昭和24年九州大学助教授、33年教授。47年定年退官。
平成6年、福岡市にて「東アジアの伝統文化」、続いて9年京都市にて「国際陽明学会」と題して国際会議を開催。アメリカ、コロンビア大学の日本人初の客員教授として明代の思想を講義するなど陽明学の国際的権威で中国哲学全般に関するわが国の第一人者。
主な著書に「東洋の道」「孫子新解」「座禅と静座」「王陽明紀行」「貝原益軒」
など著書多数。福岡市在住、93歳

貝原益軒記念資料館

福岡県粕屋郡久山町大字久原1822番地「レイクサイドホテル久山」
本館1F ,館内資料館
開館時間/10時〜19時(年中無休)、電話092-976-1800 (代表)



                          松尾允之 



貝原益軒の「養生訓」

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