| 貝原益軒の「養生訓」 第二回
 
 
 前回に引き続き岡田武彦先生の「養正訓」シリーズをお伝えします。
 とは言うものの、今回は貝原益軒をはなれて岡田先生の説かれる『兀坐涵養』を
 お伝えします。4月5日、レークサイドホテル久山で行われた記念講演からの抜粋です。
 
 
 昔、中国では禅学が起こって、これを「心の学」といいました。又、儒教でもこれを
 「心学」といってきました。しかし心の根本は身体にありますから、むしろ、より根本の「身学」を修めることが、思相上、哲学上の重要な要素となります。
 では、どのようにして身学を修めるか。それには二つの方法があります。
 つまり、身の鍛錬によって修めるか、あるいは身を静かにして修めるかということです。儒教の心学で、朱子学はどちらかというと静座によってこころを落ち着けることを旨とし
 陽明学は事上磨錬、現実の生きた社会のなかで心を鍛えていく、という考え方です。
 これは静の修行と動の修行ということで、どちらも非常に大切ですが、どちらが、より根本といえるでしょうか。
 物事は動から静が生まれるのではなく、静から動が生まれることと考えるならば、静に力を入れて動が活発になることを求めるのが本来の筋道であるといえます。
 この動静の関係を木にたとえていうなら、静は木の根であり、動は枝葉です。
 根本と枝葉の関係にあるといっていいでしょう。その根本となる静の行として、従来、座禅や静座が説かれてきましたが、私はそれらとは違う『兀坐』を説いています。
 「兀坐」を説く基本は、禅あるいは宋明学の心学に対して、身の学、身学を根本と考えるからです。
 前に心の源は身体にあることを説明しました。つまり、心を養うためにも身体をしっかりと養い育てていくことが必要です。そのため、ひたすら「兀坐」することが求められているのです。できれば、常住坐臥これ「兀坐」というぐらいになっていくことが望ましいのです。いうならば、この身は小宇宙ですから、その小宇宙をどっしりと打ち立てる
 というのが「兀坐」です。そうすれば、何事が起こっても間髪いれず活発な動きをなすことができ、身体を正々堂々と動かしていくことができるのです。
 つまり、身体をじっとする、いわゆる「兀坐」するということは、身を養うことです。
 これが私のいう『兀坐涵養』、「兀坐」で根を養うということです。
 もともと哲学というものは、身を正しく養うことが基本でなければならないのです。
 (以下次回)
 
 「兀坐」
 背筋を伸ばし、腰骨を立てて、目をつぶり、身体を静かに、ただじっと座っていることをいいます
 
 
 岡田武彦先生
 
 九州大学名誉教授、文学博士。
 明治41年 兵庫県姫路市に生れ。昭和9年九州帝国大学 法文学部支那哲学科卒業。
 昭和24年九州大学助教授、33年教授。47年定年退官。
 平成6年、福岡市にて「東アジアの伝統文化」、続いて9年京都市にて「国際陽明学会」と題して国際会議を開催。アメリカ、コロンビア大学の日本人初の客員教授として明代の思想を講義するなど陽明学の国際的権威で中国哲学全般に関するわが国の第一人者。
 主な著書に「東洋の道」「孫子新解」「座禅と静座」「王陽明紀行」「貝原益軒」
 など著書多数。福岡市在住、93歳
 
 貝原益軒記念資料館
 
 福岡県粕屋郡久山町大字久原1822番地「レイクサイドホテル久山」
 本館1F ,館内資料館
 開館時間/10時〜19時(年中無休)、電話092-976-1800 (代表)
 
 
 
 松尾允之
 
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